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鹿児島の鶴丸城に復元「御楼門」が完成!!

 加来は昨年2月から、鹿児島県のご要望により「薩摩大使」をつとめさせていただいております。
 これは島津義弘、西郷隆盛、大久保利通、川路利良、前田正名など、鹿児島県ゆかりの人々の評伝を著してきた作家活動を、県が評価してくださったのだと思います。
 それに応じて加来は日ごろから、各方面で鹿児島の魅力を紹介させていただいておりますが、このほど、その「薩摩大使」の運営を担当されている、県のPR・観光戦略部かごしまPR課から、鹿児島県の広報誌『グラフかごしま』の2020年5月号(VOL.536)をご恵送いただきました。

 拝見いたしましたところ、表紙には大きく鶴丸城(鹿児島城)の「御楼門(ごろうもん)」が。
 ついに一昨年(平成30年=2018年)から再建中であった、この、かつての鶴丸城のシンボルが完成した、との特集が組まれておりました。
 これは、ご報告の価値がございます。

 鶴丸城(鹿児島城)は、いわずとしれた薩摩藩の政庁であり、初代藩主の島津家久(前名・忠恒)が、関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)から建造をはじめたものでした。
 城郭全体としては、明治10年(1877)の西南戦争で西郷隆盛が自決した場所として知られる「城山」(中世に上山城という城がありました)を背後の守りとし、その麓に築かれた、三つの曲輪(本丸、二の丸、出丸)からなる居館で構成されています。
 城の建設以来、明治4年(1871)の廃藩置県まで、薩摩藩の中核でしたが、なかでも藩民にとって、城のシンボルでありつづけたのが、居館の正面中央にそびえた、本丸へつづく大手門にあたる「御楼門」でした。

 楼門の、木造2階建て、高さ約20メートル、幅約20メートルの壮麗な門の威容は、明治初期に撮影された鶴丸城の古写真でも確認できます。
 しかし残念ながら、御楼門は明治6年(1873)の火災で焼失しており、以来、再建がなされないままとなっていました。

 現在、鶴丸城址には、加来も20代からお世話になっている、県歴史・美術センター「黎明館」や、県立図書など公共の施設が建っております。
 御楼門は城の守りの要として、枡形を形成した堅牢なつくりであり、門の焼失後は、残された枡形の石垣に、西南戦争時の弾痕が遺されており、激動の鹿児島の歴史をしのばせています。

『グラフかごしま』によれば、御楼門の建設事業は、鹿児島経済同友会が中心となって復元計画を提言したことからスタートし、経済団体などが連合してつくる「鶴丸城御楼門復元実行委員会」が企業や個人に募金を呼びかけて予算を達成。
 この盛り上がりに後押しされて、県と鹿児島市の支援もはじまり、ついにこの4月からその姿が公開されることになったようです。

 昨今の新型コロナウイルス自粛の渦中においては、加来も事務所のスタッフも、鹿児島へうかがうことが叶いませんが、写真で拝見するかぎり、まさに鹿児島の新たなシンボルにふさわしいものが再現された、と感じました。

 新型肺炎の状況次第ではございますが、今年後半から来年以降にかけて、加来は鹿児島の各方面の方々から、さまざまなイベントに、お声かけをいただいております。
 状況が改善されたあかつきには、急ぎ鹿児島へうかがって、その勇壮なる姿を直接、拝見したい、と加来も申しております。

 鹿児島の皆さまも、この試練のときを、「御楼門」を眺め、心の支えとしながら、日々、壮健にお過ごしになることを願っております。
 

 鹿児島県PR・観光戦略部かごしまPR課の皆さま、『グラフかごしま』のご恵送、ありがとうございました。

(令和2年5月18日 加来耕三事務所 小沢その恵)

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