去る10月22日(火)に、オークスカナルパークホテル富山(富山市)にて、「読売・TDBフォーラム北陸」が催され、「戦国武将に学ぶリーダーの条件」と題して、加来が講演をさせていただきました。
講師としてお招きいただきました一般社団法人読売調査研究機構の皆さま、会場に足を運んでくださいました多くの方々に、心より感謝を申し上げます。誠にありがとうございました!
また、翌日23日(水)の読売新聞富山版の地域面では、『リーダー家康に学ぶ「寛容」 歴史家、作家・加来耕三氏』と題して、本講演会の紹介記事を掲載してくださっておりました。重ねて御礼を申し上げます。
加えまして、読売調査研究機構のホームページ(https://yomiuri-kiko.or.jp/hokuriku/event/202402154462/)でも、加来の講演会の内容を紹介してくださっておりましたので、以下に引用させていただきます。
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歴史家で作家の加来耕三氏(65)は、寛容だった徳川家康が家臣の信頼を得たことを例に挙げて「部下は、長い目で私たち(経営者)を見ている。リーダーは、寛容であることを示さなければならない」と訴えました。
近現代の日本については、日露戦争の終結(1905年)、第2次世界大戦の終戦(45年)やプラザ合意(85年)など40年間隔で繁栄と衰退を繰り返していると指摘。来年(2025年)は「転換期」となる可能性があるとして「(リーダーは会社や組織を守る)準備をしておくべきだ」と述べました。
加来氏は、豊臣秀吉が数年で天下統一を成し遂げられたのは「豊臣政権がいい加減な組織」だったからだ、と解説。できないことへの線引きをせず、何でもやろうとする山賊や海賊のような組織だったとも表現しました。
一方、現代の経営者は、頭のいい人を採用するので、できることを判断し、組織として硬直していると指摘しました。
徳川家康については、三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れてから、敵の戦い方を学ぶなど「 学(まね)ぶ」を徹底したこと、長男・松平信康を死に追いやった酒井忠次を家臣としてそばに置いていたことなどをあげ、「寛容」であったことが、秀吉などとの違いだったと力説しました。
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皆さま、この度は誠にありがとうございました。いずれまたご縁をいただけますことを、加来は心より願っております。
(令和6年11月7日 加来耕三事務所 岡本あゆ美)