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歴史に学び、未来を読む

岐阜新聞に加来がコメントを寄せさせていただきました!

去る10月8日(金)付の岐阜新聞にて、「首相 岐阜出身ゼロなぜ」と題する記事が、一面トップに掲載されました。加来は、講演会などで度々岐阜県を訪れさせていただいていることもあり、この度、リモート取材のご依頼をいただきまして、ありがたいことに「県ゆかりの歴史家」として、コメントを寄せさせていただいております。

岐阜新聞Webより、記事のリード文を引用させていただきます。

第100代の首相が誕生した。1885(明治18)年に就任した初代の伊藤博文以降、64人目となる首相だ。続いて控える衆院選は政権選択の選挙。国民の”お墨付き”を得て新内閣を軌道に乗せられるか、注目が集まる。だが、今回も岐阜県から首相が出ることはなかった。県民性なのだろうか。首相を多く輩出している県の特徴は。そして、岐阜県から首相を出すには-。県ゆかりの歴史家や政治学者に聞いた。

以下、加来のパートもご紹介させていただきます。

戦前は、明治維新を成し遂げた長州藩と薩摩藩を中心とした藩閥政治の色合いが濃く、山口県と鹿児島県の出身者が交互に首相を務めた時代もあった。その影響は戦後も残っていそうだが、鹿児島県からは戦後に首相が出ていない。歴史家の加来耕三氏=東京都=は、両県の県民性を歴史から読み解く。「薩摩には将帥(しょうすい)学が根付いていた。実務は優秀な部下に任せ、トップは責任を取るだけでいい。西郷隆盛や東郷平八郎のような親分と子分というリーダー像。ところが、戦後はそういうやり方が合わなくなった」。一方の山口県は戦後も首相を輩出し続けた。「長州にリーダーはいない。同志の集まり。吉田松陰も同志。親分と子分の関係と比べて結束力が弱い分、調整能力が高い。それが戦後の米国式の民主主義とマッチした」

記事の全文は以下よりお読みいただけます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/779d3157fc34d11c0dcf18a9712a93fc135a9aae

この度、加来にご依頼をいただき、リモート取材から記事執筆にいたるまでお世話になりました岐阜新聞の瀬戸覚旨(さとし)記者に、心より感謝を申し上げます。また、本記事を岐阜新聞あるいはWebにてお読みいただきました皆さま、誠にありがとうございました!

なお、岐阜県とはさらにご縁が続きまして、来たる10月30日(土)には、岐阜関ケ原古戦場記念館にて、加来の特別講演会の予定がございます。詳細は、「お知らせ」のコーナーにて告知しておりますので、下記ページもお読みいただけましたら幸いです。多くの皆さまにお目にかかれますことを、加来は心待ちにいたしております。

https://kaku-kouzo.com/wp/wp-admin/post.php?post=3877&action=edit

(令和3年10月11日 加来耕三事務所 岡本あゆ美)

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